日常反復継続する取引について、統計上の二項分布を前提とすると、90%の信頼度を得るには、評価対象となる統制上の要点ごとに少なくとも25 件のサンプルが必要になる。
これは、「25件サンプルを選んで、そのすべてについて部長決裁が得られていれば、概ねこの統制は有効であると統計的に判断できる」ということを意味している、と説明しました。上記の文章の「統制上の要点」とは、「部長決裁に関する統制が有効か否か」ということです。
今回は、上記文章の統計的意味についてもう少し触れたいと思います。
■ 標本(Sample)から母集団(Population)を推定する
標本を抽出するのは、標本自体に関心があるからではなく、(標本が含まれる)母集団の性質を知りたいからです。先の例では、①部長決裁が必要なすべての取引(母集団)について、②全取引(母集団)から標本(サンプル)を抽出し、③標本について部長決裁が行われていることを確認することで、④部長決裁が必要なすべての取引(母集団)について、統制が適切に機能している(部長決裁が確実に行われている)ことを知りたいわけです。
①~③はある意味機械的な作業ですが、④には判断が伴います。抽出した標本の中に1件も承認漏れ(逸脱:Deviation)がないからといって、母集団全体について統制が機能していると言えるのでしょうか?
■ 統計的(仮説)検定 ☛ 否定することに意味がある
ここで、統計的仮説検定という概念が登場します。この仮説検定(以下、検定)は、母集団についてある仮説を立て、その仮説を検証する方法です。仮説を検証する流れとして、通常思い浮かぶのは以下のような流れでしょう。
【通常考えられる仮説検証の流れ】
仮 説:「 部長決裁が適切に行われている」という統制は有効に機能している。 ⇓ 検 討:サンプルを抽出し、実際に部長決裁が行われているどうか調べる。 ⇓ 判 断:上記の調査結果によって、仮説の正否を判断する。 |
ところが、統計学の仮説の立て方というのは独特なものがあって、上記とは少し違う流れを辿ります。すなわち、統計学では証明したいことの反対の仮説を立て、この仮説を否定するという発想をするのです。
今回、証明したいことは、「統制が有効である』ということですから、証明したいことの逆、すなわち、『統制は有効に機能していない』という仮説を立て、この仮説を否定することを考えます。統制が有効かどうかの基準は監査人の判断によりますが、ここでは、逸脱率(承認漏れの確率)が『9%以内か9%を超えるか』で判断するとします。すなわち、「『統制は有効に機能していない(=逸脱率は9%超である)』という仮説を否定することを検討します。何だか迂遠な感じがしますが、このあたりが統計学独特の考えというか、最初は馴染みにくい考え方だと思われます。
【統計学上の仮説検定の流れ】
仮 説: 統制は有効に機能していない。すなわち、逸脱率が9%を超えている。 ⇓ 検 討:サンプルの抽出と調査を行う。 ⇓ 判 断:仮説を否定(棄却)する(または、否定(棄却)しない。) |
つまり、逸脱率が9%を超えているという仮説は否定されてこそ意味を持つことになります。そのためには、仮に(上限)逸脱率を9%と仮定してその確率を計算し、その計算結果(確率)が十分に小さければ、最初に立てた仮説(逸脱率が9%超)が適切でなかったという論法になります。
例えば、(新)薬の効能の判定においても、この仮説検定の考え方が用いられます。すなわち、①新薬は効かない(又は従来の薬の効能と大差はない)という仮説(帰無仮説)を立て、②この帰無仮説が棄却できれば、③「新薬の効能はある(又は従来の薬よりも新薬の方が効能が高い)」という対立仮説を採択することができるという流れです。
■ 仮説の設定と統計上の誤り ☛ 所詮は確率の話なので、誤りは付き物
先に述べたように、検定では証明したいこと(対立仮説といいます。)に対して、否定したいこと(帰無仮説といいます。)を仮説として立て、検証します。
● 対立仮説 H1(Alternative Hypothesis):統制は有効に機能している(=逸脱率が9%以下である。) ☛ この仮説は積極的に証明しない。 ● 帰無仮説 H0(Null Hypothesis):統制は有効に機能していない(=逸脱率は9%超である。) ☛ この仮説を棄却しようと考える。 |
ここで、帰無仮説(H0)が棄却(否定されると)、間接的に対立仮説(H1)が証明されるということになります。しかし注意しなければならないのは、帰無仮説(H0)が棄却されたといっても、積極的に対立仮説(H1)が証明されたわけではないということです。「統制は有効に機能していない(逸脱率が9%超である)」という証拠は見つからなかったので、暫定的に、「統制は有効である」という仮説が採択されたに過ぎないのです。
一方、帰無仮説(統制は有効に機能していない)が棄却されなかった場合はどうなるでしょうか?この場合は、実は何も言えないに等しいのです。この辺りの話になると、込み入ってくるので詳細は割愛します。
さて、仮説を証明するといっても、標本から母集団の推測を行うわけですから誤差(Error)が生じます。要は、サンプルを沢山調べて、仮に1件の承認漏れがなかったとしても、全取引が同じように部長決裁を得ていることは断言できないわけです。
実際には、次のような2つの誤りが生じる可能性があります。
① 対立仮説(H1)が正しいのにこれを棄却して、帰無仮説(H0)を選択してしまう誤り = 本当は統制は有効に機能しているのに、統制が有効でないと判断してしまうこと ② 帰無仮説(H0)が正しいのにこれを棄却して、対立仮説(H1)を選択してしまう誤り = 本当は統制は有効に機能していないのに、統制が有効であると判断してしまうこと |
①は「正しくないものを正しいと判断してしまう誤り」ですから、会計監査においては深刻な間違いになります。これは、監査の有効性に関するリスクとなります。
一方、②は「本当は正しいのに正しくないと判断してしまう誤り」です。監査においては①ほど深刻ではありませんが、(追加的な監査手続きが必要になるため)監査の効率性に関するリスクとなります。
少々長くなりましたが、今回はここまでとします。
清水公認会計士事務所(Shimizu CPA Office)
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